みまむめも三週目。
先週は、ひさみさん、しろっぷ。今週は、ゆみさん、あーこ、みづえさんが手伝ってくださっています。青学WSDのみなさまが来てくれなかったらこの図工の時間、成立しなかったかもしれません。ありがとうございます!
お蔭さまで、着々と工事(?)は進んでいます。4年生はグループで、取材にもとづいて、都電、消防署、東京電力のタワー、女子医大病院、都バス、BLD(地元のパン屋さん)を鋭意制作中。なかなかに巨大でわくわくしてきます。
3年生は、まち歩きの写真から一枚を選んで紹介するシートをつくった後(これも展覧会で展示します)、一人ひとりの造形を開始。こちらも相当、個性的。日暮里舎人ライナーや飛行機(公園の遊具)などの定番から、自分の家、得体の知れない塔、賽銭箱、店で売っている卵(?)など、つくりたいものがつくりたいようにつくられています。
来週はいよいよ体育館へ移動。土木工事もはじまります。
茶堂=日本的コミュニティセンター?
新潟の河田さんに紹介していただいて、久田邦明さんの『生涯学習論―大人のための教育入門』という本を読みました(→amazon)。
いささか生真面目なタイトルですが、教科書的な概論ではありません。学校教育や社会教育を地域コミュニティの網の目のなかに置き、現在の課題を、高度成長期以降の地域社会の変化に位置づけることで、その本質的な問題の所在を論じた視野の広い本。学校教育や社会教育は本来、地域コミュニティが十全に機能していることを前提としていたにもかかわらず、その関係性が忘れられ、また地域コミュニティ自体が失われたことによって、多くの問題を抱えるに至ったという構造がよく見えてくる。それゆえ、地域社会の現在のありようを通じて、教育のみならず、若者の就業支援や地域福祉といった課題までが、逆に照らし出される。
青少年向けの居場所などについて断片的な知識しかなかった私にとっては、紹介されている全国各地の施設や取り組みは非常に興味深く、とても勉強になりました。また、本書で繰り返し取り上げられる「茶堂」が、若者の居場所やコミュニティカフェの源流だという指摘はおもしろかった。
茶堂とは、四国や中国地方に見られた民族建築物で、集落のはずれや交通の要所(つまり外部との境界)に建てられている。一間か二間四方の簡素なつくりで、三方または四方は開放。多くは茅葺き。村はずれの東屋、和風のフォリーといった建物である。
この小さな空間は、旅人の休憩所や、行商人との取引き場所にもなり、住民が交代でお茶を振る舞った地区もあるという。また祭礼や酒宴など、集落内部の行事にも使われていた。境界の空間ゆえに共同体の内外に開かれ、集落ごとに所有・管理し(=非制度的)、その時々に応じて多目的に使用される空間である。こうした空間が、地域コミュニティの維持を担っていたというのがおもしろい。
さっそく試しに、茶堂とコミュニティとの関係という見立てで、芝の家はじめ各地のコミュニティカフェの事例を紹介させていただいた。欧米(ドイツとカナダ)の研究者向けに、「日本的コミュニティセンター」という説明をしてみたのだが、縁側の機能や通りとの接し方、コミュニティのなかでの位置づけなど、興味深く聞いてもらえたようだ。コーヒーハウスやカフェがどちらかというと都市のブルジョア文化に結びつき、地方は教会がコミュニティの中心に位置している欧米的なコミュニティとコミュニティ空間の関係に対して、農村の共同体を支える茶堂という見立ては、日本特有のコミュニティ空間の在り方を考える上で有効だと思った。
茶堂のコミュニティ機能は、戦後は公民館にその役割を委譲してきたといえるようだ。また飲食機能は、近世以降、茶店など現在の飲食店に発展したともいえるのかもしれない。時代にあわせた進化ともいえるのだが、それゆえ逆に、茶堂が本来持っていた「境界性」と「非制度性」は失われてしまった。いま、「普通の人たち」が協力しあい、地域の居場所やコミュニティカフェという形で新たな「境界性」と「非制度性」をもつ場をつくろうとしていることは、従って極めてまっとうな「先祖帰り」といえるのかもしれない。
書棚沈没、難民化する本たち・・・
古い家に本を溜め込みすぎると床が抜けますよ、と他人に忠告したことは数あれど、よりによって自分の家の床が抜けてしまうとは・・・。とほほ。でも元茶室の床の間に書棚を置いている方が悪いです。すみません。別の本棚の前に避難した本たちですが、どこにも行くあてなく難民化しています。この避難所自体が安全なのかどうか、不安が募ります。週明け、別府から帰って来たら善後策を講じようと思っています。
できていく時間
週末は、集まった人がつくっていく場をいくつか。土曜日は、青学WSDの講義。小学校でのワークショップ実習のグループ・フィードバックと、持ち味について。芝の家を紹介しつつ、「具とスープとうつわ」の話を。
夜は戸田公園に移動して、アサヒアートスクエア「Grow up!! Artist Project」の試奏会。寺内大輔さんのスコアスクローラを使った新作を、試し試しつくっていく。
翌日曜日は、ヤン&真梨子による「トランスフォーミング・ネイバーフッズ東京/ベルリン」に参加。高齢社会へ向かう東京とベルリン(日本とドイツは人口構成が似ている)の「近所づきあい」を考え直すワークショップ。「日本的コミュニティセンター?」というテーマで、茶堂を紹介しながら、外部との境界にあり地域内外に開かれた非制度的多目的スペースとしての「芝の家」や全国の地域の茶の間、コミュニティカフェを紹介。
ワークショップ、現代音楽、デザインと分野は異なるが、いずれもその場で何かができていく時間。
みまむめも地図
尾久宮前小学校でのワークショップ、「みまむめも地図」がはじまりました。「みまむめも」とは、「みやまえの、むかし・めじるし・ものがたり」。小学校周辺のまちから人に伝えたいものをひとつ選んで、造形で表現。3年生はひとりひとつずつ、4年生はグループでまちのシンボル(めじるし)をつくり、最後は体育館にならべて巨大な地図にする予定。
今日は、その初日。カメラを手に、まちへ取材へ出かけました。写真は、行商のおばあさんに話を聞いているところ。
このワークショップは、文部科学省の「芸術表現を通じたコミュニケーション教育の推進」事業の一環で行われるもので、まちを題材に造形することで地域の人との交流を、そして体育館に巨大地図をつくることで、友達や来場者にまちを案内する体験ができれば、と考えて企画しました。それ以前に、ムナーリの巨大な木をつくるワークショップに、前から憧れていたということもあります。巨大なまちを思い思いの造形物で構成したらはちゃめちゃなランドスケープが出現して楽しそう!という動物的本能が本質です。12月初旬に小学校をあげての展覧会を開催しますので、詳細はまた追ってお知らせします。
ちなみに、5・6年生のクラスでは、KOSUGE1-16の土谷くんが、例によって巨大な感じのプロジェクトを行うそうです。こちらも楽しみ。
黒板とワイン
「三田の家」の本が完成しました。「三田の家」のできるまで、そしてできてからの4年間を、各マスター、スタッフが思い思いにつづった、なかなか「三田の家」らしい本です。

『黒板とワイン もう一つの学び場「三田の家」』
熊倉敬聡、望月良一、長田進、坂倉杏介、岡原正幸、手塚千鶴子、武山政直
慶應義塾大学出版会 →詳細 →amazon
あまりに「三田の家」らしく、各人が書きたいことを書きたいように書いているため、最初からまじめに読み進めると、どこに連れて行かれるのかわからない不安に襲われるかもしれません(笑)。地域連携、場づくり、あたらしい教育、社交力など様々なテーマが絡み合っているので、まずは関心のある部分から読んでみていただければ幸いです。
次第に、別々の人が異なった視点から一つの出来事について言及しているなど、いわくいいがたい「三田の家」の魅力やつかみどころのない雰囲気が浮かび上がってくるのではと思います。写真や年表、十名以上が書いたコラムなど編集は大変だったのですが、そのぶん「三田の家」の様子を多面的に味わっていただける一冊になっていると思います。
坂倉は、第二章「創造的な欠如をめぐって-―「場」づくりの現場ノート」と、終章「黒板とワイン 学びと生活の再文脈化」を書きました。「黒板とワイン」という不思議な書名については、終章をお読みいただければ幸いです。
先週刷り上がったばかりで、一般の書店への配本はおそらく来週以降。「芝の家」では、先行してお譲りしはじめています。
熊本でコミュニティカフェのつどい

コミュニティカフェ全国連絡会の活動で、熊本に寄せていただきました。2日は、植木町のふらっとホール「小町家」と「ママスパパス」、「こまちの森」、「ばあちゃんち」、「カフェ型保健室しらかば」を訪問。
翌3日は「コミュニティカフェ・フェスタin熊本」に参加。地域ケアプラン研究所 「海」の大石さん、「ちびっこ夢ランド」の池上さんと荒木さん、「カフェ型保健室しらかば」の工藤さん、新潟の河田さんによるパネルディスカッションの進行を担当させていただくなど、多くのユニークな場づくりに触れ刺激的な2日間になりました。
いきるためのメディア
発売から少し時間が経ってしまいましたが、新刊のご案内です。

『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』
渡邊淳司[編著]、藤木淳、丸谷和史、ドミニクチェン、坂倉杏介、田中浩也[著]
春秋社 →amazon
最新の技術開発そのものではなく、新しいメディアテクノロジーを曲げたり(ベンディング)組み合わせたりすることで、これまでになかった知覚環境や社会システムを生み出そうとする実践的研究者による試行の記録です。坂倉は、第5章「人と環境のあいだに生じるイマジネーション」を寄せています。淳司さん、ゆいさんとともにつくった「HEREing Loss」のパフォーマンスとワークショップを中心に、人間を「想像してしまう存在」と見立てたとき、メディア技術がどのような知覚世界を創出できるか、ということを論証しています。
ぜひお手に取りください。芝の家でもお譲りしています。



